昼間の瀕死寸前の厳しい修行でクタクタの身体。 ナマリのように重たいその身体を引きずって、ゆっくりとお風呂に浸かって。 それから布団に入れば、いつもはすぐに深い眠りの世界に入るはずなのに。 その日、いつものように寝る準備万端で神殿にあてがわれた自分の部屋に戻ってきたは、普段は真っ暗な部屋に青白い光が射しこんでいることに気づき、ちょっと首を傾げながらその光が漏れてくる窓際に立って空を見上げて。 「わぁ……キレイ」 暗い夜空にくっきりと浮かんでいる真ん丸のお月様を見つけて、感嘆の声を漏らした。 「満月、か……」 自分の部屋から夜空を見上げ、真円を描く月に目を留めた悟空が小さく呟く。 皓々と光るその月に、なんだか少し落ち着かなくなる自分を感じ、カーテンを閉めようと窓辺に寄った悟空は、神殿の庭の真ん中に人影があることに気づいた。 「…………?」 月が出ていても、夜は夜。すなわち、外は暗い。 それでも、膝を抱いて座り空を見上げているその人影をだと認識できるのは、その柔らかくて暖かい気配。 いつもならもうすでに寝ていてもおかしくはない時間帯。 昼間酷使したあの細い躰でいったいなにをしているんだろう、と疑問に思った悟空は、自分の胸のざわつきも忘れ、神殿の外へと向かった。 神殿の庭に出た悟空を包む、夜のひんやりとした空気。 太陽が出ているときは、まだまだ残暑の厳しい暑い日が続いているが、確実に秋は近づいてきている。 目的の人物は、やっぱり体育座りで夜空を見上げていて。 そばに行って声をかけようとしていた悟空の足が、その様子を見て止まった。 青白い光に照らされている、愁いを帯びたその横顔。 薄暗い闇の中で、燐光を放つように浮かび上がるその姿。 それは、息を呑むほど綺麗だけれど、同時にひどく儚くて。 ――――――――声をかけたら、その闇の中に吸い込まれて消えてしまいそうで、悟空は思わず気配を殺し、その姿に見入っていた。 まわりを包む夜の空気は、少し肌寒いくらいひんやりしていて、太陽が出ていた昼間の暑さが嘘のよう。秋の気配を感じる。 時空を超えてもやっぱり綺麗で、幻想的な光を放つ、お月様。去年は家族そろってこんな満月を見上げてたな、と思いながら、は小さく笑みを零した。 今宵の月は、十五夜のお月さまだろう。 遠い異世界でも、いま自分が見上げているのと同じ青白く美しい月が、夜空に輝いているんだろうか。 ―――――――――わたしを照らしているように、家族のことも、その冷たさと優しさを同時に持ち合わせたような光で、照らしているんだろうか。 どのくらいの時間がたったのだろう。 ぼんやりと月を眺めていたが、ふぅ、と小さいため息をついて。 それから、ふと気づいたように顔を上げた。 「―――――――――あれ? 悟空?」 座ったまま、少し驚いたように見上げてくるその瞳に、悟空もハッと我に返る。 我に返ったものの、彼女に見惚れていた自分がなんだか気恥ずかしくて視線を泳がす悟空。 そんな悟空の態度に、たぶん感傷に浸っているところを思いっきり見られていただろう事を悟って、なんとか誤魔化そうとしただったのだが。 幻想的な月に照らされた悟空が、あまりに綺麗で。 はふわ、と笑顔を浮かべた。 「とっくに寝てるかと思った。どうしたの?こんなに遅くに」 柔らかい笑顔と、高く澄んだ声。 その穏やかな気配に、悟空の顔にも自然、笑みが浮かぶ。 「こそ、こんなとこでなにやってんだ?」 となりに座りこみながら逆に聞き返してみれば、はちょっと笑ってから空に視線を戻す。 「お月見、してたんだ。綺麗な満月だったから」 月を見るの笑顔は、物悲しい月明かりに照らされているせいか、やっぱり少し淋しそうに見えて。 その様子は、振り返るまいと頑張って前を見据える彼女が時折見せる、『元の世界』を思うときの表情と重なってしまう。 「元の世界のこと、思い出してたんか?」 そんな彼女からわざと視線をはずし、気のないそぶりを装って聞いてみる。 自分が心配そうな顔をしたら、は絶対に自分を気遣って本音を言わないことを知っているから。 そんな悟空をまじまじと見つめてから、やっぱりバレちゃったか、と思いながら、はフッと自嘲的に笑った。 「…………うん。ちょっと、ね。感傷に浸っちゃったりしてました」 てへへ、と悪戯が見つかった子供のような誤魔化し笑いをして、は続ける。 「今夜はきっと、この季節からして『十五夜』だと思うんだよね」 「じゅうごや?」 「うん、『十五夜』。仲秋の名月ってやつ? とにかく、わたしの元いた世界ではね、この日にススキとかの飾りを作って、お月見をしながらお団子食べたり、お酒飲んだりする風習があるんだ」 「ふ〜ん」 お月見か、と呟きながら満月を見上げる悟空から視線をはずし、は笑顔を浮かべたままうつむく。 「ばあちゃんがね」 「ん?」 の言葉に彼女を見ると、彼女も顔をあげて笑う。 「ばあちゃんが、ススキの飾りとお団子を作ってくれるの、毎年。今年もきっと、みんなこのお月さまを見てるんだなぁ、て思ってた」 クスクスと、小さく笑うの顔。 明らかに涙を隠した、今にも泣き出しそうなその笑顔。 それを隠すために、はまた月を見上げ、「キレイだね〜」と呟いた。 悟空はそんなをじっと見つめた。 彼女が自分の目の前に現れてから、早四ヶ月。 異世界から連れてきてしまった彼女は、いともたやすく自分の心を奪っていった。 初めて覚えた『恋』という感情。 は自分を心配させないためにそんなふうに無理に笑っているんだろうけれど、彼女に恋する男として、悟空はもっと自分に頼ってもらいたいわけで。 「な、」 小さく呟くような呼びかけだったが、しん、と静かな神殿の秋の夜。 となりに座るは悟空に顔を向ける。 「はい?」 ことり、と首をかしげて自分を見るの頭を、悟空はくしゃくしゃ、っとかき混ぜて。 「淋しいときは、無理しなくていいんだぞ? 泣きたいときは、泣いたっていいんだ。オラの前で無理して笑ったって、どうせおめえは後で独りで泣くんだろ? オラは、おめえを独りで泣かせたくねえよ」 零れてきた言葉は、本音も本音。 はいつも明るくて、元気で、笑っているけれど。 きっと、独りになったときには、今みたいに泣きたい気持ちと必死に戦ってるんだ。 でも、独りで声を殺して泣いたって、きっと心は晴れないだろうから。だから、そんな哀しい気持ちごと、全部受け止めてやりたい。 そんな風に思いながら、優しく笑いかけると。 驚いたように見開いたの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。 「―――――――――――――――………ふ………っく……………」 別れを告げる間もなかった。 自分の無事を、知らせる手段もなくて。 時折シンクロする、もとの世界の記憶。 今夜はお月見の晩で、去年の十五夜の夜のことや月明かりに照らされた家族の顔を思い出してしまったら、やっぱりどうしようもなく胸が軋んで。 泣いたって仕方ないって、泣いたからって何が解決するわけでもないって、そう、わかってる。涙が出てきてしまったら、余計に哀しくなるような気がして、だから。 いつも、そんな感傷なんか出てこないように、笑顔を作った。 たとえ作った笑顔だって、笑っていれば哀しいことにも淋しいことにも負けないと思ったから。 涙なんか見せない。無条件に味方でいてくれて、いつも頼っていた父母はここにはいないんだから、強くならなきゃって。 実際、笑顔でいれば、零れそうな涙もちゃんと引っ込んでくれたのに。 そうやって、我慢していられたのに。 どうして、悟空の優しい一言に、こんなにあっさりと虚勢を崩されてしまうんだろう。 自分に触れる悟空の温かい手に、なんで肩の力が抜けてしまうんだろう。 そのままうつむいて、必死に声を殺して泣くの姿に、刺すような胸の痛みを感じる。 あの時を放していれば、こんなふうに泣かせずにすんだのに。 でも、放さなかった。 ―――――――――放せなかった。 あのときにはもう、きっと彼女に惹かれてしまっていたから。 「――――――悟、空………ダメ、だよ…………」 「ん?」 嗚咽の合間から聞こえた言葉に、の頭を撫でながら聞き返せば、は涙にぬれた顔を上げて。 「そんな………優しく、されたら………ひっく…………我慢、できなくなっちゃう、よ…………」 そんなふうに言って、こんなときでさえ笑おうとするに、なんだかもう。 胸が………痛くて、切なくて。 気づいたら、勝手に腕が伸びていて。 気づいたら、を胸に抱きしめていた。 「――――――――――ぇ? あ、あの………悟空、さん?」 「ったく、おめえは。我慢なんかしなくていいって言ったろ? 思いっきり、泣いちゃえよ」 ぎゅう、とひとつ力をこめて抱きしめたら。 最初はうろたえている様子だったの手が、ぎゅっと、悟空の服を掴んで。 肩を震わせて泣くの背中を、悟空は何度も何度も撫でていた。 「………わたし、欲張りなんだ」 しばらく泣いて、ちょっと落ち着いたのか、が顔を上げる。 の言葉の意味が理解できなくて、首をかしげる悟空。 「わたしね、なんでかは忘れちゃったんだけど……昔から、悟空に会う前から、悟空のこと、知ってて。悟空に会いたくて会いたくて仕方なかったの」 やっぱりワケがわからず彼女の話の先を促す悟空の察しの悪さに、 はくすくす笑い出す。 「悟空に会うためだったら、なにを捨ててもいいって思ってた。それなのに………実際悟空に会えて、もとの世界のすべてを捨てなきゃならなくなったときにね、『やだ』って。悟空とも一緒にいたいし、もとの世界にも帰りたいって……。どっちかなんてイヤだって、わがままちゃんが登場しちゃったんだ」 ふふ、と笑うの笑顔は、それまでの無理をしている顔ではなくて。 自然に溢れてきてしまうような、穏やかな笑顔。 「今でもね、正直言って、今夜みたいに感傷的になっちゃうときけっこうあったりする。だけど…………」 悟空の瞳をまっすぐ見つめるの瞳に、柔らかい光が宿り。 そんな視線に、悟空の胸が騒ぎ出す。 「わたしは、後悔してないよ。あの時、悟空に、その……抱きついちゃったこと/// こっちの世界に連れてきてもらえたことだって、後悔してない」 いまだ残っていた涙をきゅっと自分のこぶしで拭って、はすくっと立ち上がった。 そのまま大きく伸びをして、皓々と光っている満月を見上げる。 「へへへ、いっぱい泣いちゃったけど。………うん。後悔なんか、してないもんねーだ!」 明るく笑うの顔。 後悔なんか、してない。 優しくて、穏やかで、明るくて、あったかい人が、出逢う前から大好きだった悟空が、こんなふうに甘やかしてくれる。 いつも見ててくれて、守ってくれる。 不思議な感覚。 無条件に愛情をかけてくれた父母が、そんな悟空にダブって見える。 両親が『好き』と悟空が『好き』は、全然違うように思えるけど、たぶん、根っこのほうでは繋がってるんじゃないかな、と思いながら月を見上げたが、ふわん、と目元を和ませた。 「ほんと、キレイなお月さまだねぇ」 月明かりに照らされたの幻想的な美しさにちょっと見惚れてから、悟空は彼女の横に立って空を見上げた。 くっきりと弧を描く月を、彼女のようにただただ『綺麗』と感嘆したいのに。 ―――――――――やっぱりなぜか、胸が靄つく。 「………でもさ、満月の夜って、化け物が出るんだぜ」 「―――――――――え?」 ピクン、と怯えたように肩を揺らしたに、悪戯っぽい笑みを返して。 「オラのじっちゃん、その怪物に踏み潰されて、死んじゃったんだ」 「―――――――――――――――うそ、でしょ?」 「うそじゃねえよ」 自分が寝ている間に、その怪物は現れて、大好きだった祖父が殺された。 あの時の締め付けられるような哀しい気持ちと、やるせない喪失感を思い出し、悟空の顔が心なし歪んだ。 「大丈夫?」 そっと気遣うように自分にかけられた澄んだ声に、そちらに顔を向ければ、心配そうな、不安そうなの瞳と視線がぶつかって。 さっきまで心配していたのは自分だったのに、いつの間にか今度は自分が彼女に心配されている状況。 苦笑するように彼女に笑いかけ、軽く頷いてから、満月に視線を流す。 なぜか胸をざわつかせる、真円を描く月。 その落ち着かない気分は、自分の最愛の祖父をその怪物に殺されたのがこんな満月の夜だったからなのか。 それとも、その祖父に何度も注意されたからなのか―――――――――「満月を見るな」と。 「そういえば、じっちゃんよく言ってたなぁ。満月を見ちゃダメだって」 「………どうして?」 「さあな。でも、まいいや。とにかく、化け物が出ねえうちに、早く寝たほうがいいとおもうぞ?」 「う、うん。そうする」 悪戯っぽくの瞳を覗き込めば、素直にうなずくが、なんとも言えず可愛くて。 やっぱり、好きだな〜、と。 そう思う。 「夜は涼しくなったよね」 「そうだな。風邪ひかねえようにしろよ」 「大丈夫! わたし、丈夫だから」 そんなたわいもない会話をしながら神殿に入り、それぞれの部屋に向かう分岐点で。 くるん、と悟空を見上げたが。 「悟空、今日はありがとう。サイコーのお月見でした♪ ………でね、ちょっとお願いしたいことがあるんですが」 の上目遣いに、悟空の胸はまた騒ぎ出す。 その可愛い表情は、反則以外のなにものでもないだろう、なんて思いながらも、とりあえず。 「なんだ?」 と先を促せば。 はちょっとバツが悪そうに笑って。 「あの、ね? その………また泣きたくなっちゃったら、その………胸!貸してもらってもいいですか!?!?」 力いっぱいののその『お願い』に、キョトン、と彼女を見返せば。 月明かりに照らされたの、鮮やかに赤く染まる顔。 そんないっぱいいっぱいのの顔に、ゆるゆると上ってくるこの『嬉しい』感情は、いったい何なんだろう。 その感情のまま、満面に広がる笑顔。 「ああ、もちろんいいぞ!」 なんだかすごく嬉しくて、悟空も力いっぱい肯定の言葉を返すと、それはもう嬉しそうな笑顔がの可愛い顔に広がった。 「やったねっ。ありがと悟空。じゃ、また明日、修行頑張ろうねっ!オヤスミ」 「うん、オヤスミ。明日ちゃんと起きろよ?」 「ん、大丈夫〜」 そう言い合って、自分たちの部屋に戻った。 けれども。 それぞれの部屋でベッドに横になりながらも。 なんだか嬉しすぎてなかなか寝付けない二人の姿を、十五夜のお月さまが柔らかく照らしていた。
はてさて何を思ったか…。 |