かくして童話のセオリーの如く出逢った、呪いをかけられたお城のお姫様と正直者の王子様。
広い広い城の中は、どこもかしこもしん、と静まり返っていて、大理石の廊下を歩く足音がやけに大きく響く。
目に入ってくるのは、端々で眠りついている侍女や召使たちの姿。
起こせばいいのに、と簡単にのたまう何百年ぶりかの訪問者に、この城の主である姫は困ったように笑う。
「起こせないの。起きてくれないの。そういう、呪いなの。毛布かけたから、風邪は引かないと思うけど……」
風邪とかの問題ではないんじゃあ……と、そんなことを思いながら姫を見た王子の視線の先。それまで快活に笑っていた彼女の瞳に、少し、本当にわずかの間のぞいた、哀しげな色。
――――――今はこんなふうに明るく笑っているけれども、本当は、無理してるんじゃないか。
よぎる胸のうちを明かせぬまま、王子は案内されるまま、姫に続いて中央に泉のある中庭へと足を踏み入れた。
「はい、これが『命の水』です。コップ一杯ですぐ治っちゃいますよ」
「……いいのか?」
「はい?」
「いや、『神秘の水』ってやつなんだろ? 悪ぃけどオラ、金とか持ってねえんだ」
事もなげに手渡された水をありがたく受け取りながらも、自分の兄たちが『命の水』を買うためと言って持ち出した金銀財宝のことを思い出して、気まずそうに頬っぺたを掻く王子に対し、けれども姫のほうはキョトン、とした顔をそんな彼に向けた。
「どうして、お金?」
人を助ける技術を努力して学んだわけでもなく、ましてやこの泉を自分が掘り出したわけでもない。
もともとここにあって、たまたま自分がこの国の王族として生まれ、この泉の守り人を任されただけのこと。
「だから、お金なんか要りません」
にっこり微笑む姫の笑顔に、なぜか顔が熱くなってしまう王子。
『命の水を汲んだらすぐその城を出ろ』という小人の忠告が頭をよぎったが、この姫のことをもっと知りたい、少しでも長く、彼女と時を共にしたい、という欲求を抑えきれず。
「ちょっと、オラと話さねえか?」
泉のふちに腰掛けて、傍らに立つ姫を見上げれば、怪訝そうな顔を王子に向けてから、コクリと頷いた。
命の水 act.3
「―――――――――じゃあ、おめえはずっと一人っきりなのか?」
「一人きりっていうか…。一人じゃないけど、みんな眠っちゃってて起きてくれないっていうのかなぁ」
一通り、自分の身に起こったことを話し終えたに悟空が問いかけると、彼女はう〜ん、と首を傾げて答える。
最初のうちは、寂しくて哀しくて、こんな呪いをかけていった大魔王が憎くて、ずっと泣いてたけれど。
今だって、ちょっと気を抜くと『寂しい』と『哀しい』が頭をもたげてきてしまうけれど。
「泣いてたって何にも解決しないし、ピッコロさんのことだもん、泣き落としで呪いを解いてくれるわけないし。それに、起きてはくれないけれど、みんなとりあえず生きてるし。だから、気分転換に、お城の掃除でもしてようかな、と」
「ピッコロ?」
の口から出てきた固有名詞を不思議に思って聞き返す悟空に、は困ったような笑顔を作った。
「……ピッコロさんは、この国に呪いをかけた大魔王のお名前です。あのときから少なくとも数百年は経ってるのに、毎晩毎晩飽きもせずにやって来ます。わたしが歳をとらないのも、眠っているみんながあのときのままなのも、きっとピッコロさんの呪いのせいなんだろうなぁ」
実は超おばあさんなんですよ、なんて、いたずらっぽく笑うは、見た目もそのしぐさも十五、六の少女にしか見えない。
ころころと良く笑い、自分の身に起こったとても笑ってはいられないであろう出来事を、こともなげに話す。
でも、その言葉の間に見え隠れするのは、きっと数え切れないほど涙を流してきたのだろうと思わせる隠しきれない感情。『さびしい』と『かなしい』という形容詞を使わないように、そんな気持ちに負けないように、きっと彼女なりに必死に頑張っているのだろう。
いまは自分の目の前で、明るく笑ってくれているけれども。
こんなふうに笑えるようになるまで、いったいどれだけの月日を要したのだろうか。
――――――どうして、笑っていられるんだろうか。
「泣いてても仕方ないから」
悟空の心の内を見透かしたように、凛とした声が胸に響いた。
隣りを見れば、まっすぐに自分を見つめるの瞳と、視線がぶつかった。
「みんなが眠ったのは、わたしのせい。わたしさえいなければ、こんなふうにならなかったと思う。なのに、みんな、わたしを責めないの。それどころか、応援してくれてるのがわかるの……『負けるな』って。だから、負けるわけには、いきません」
一瞬目を伏せてから再び顔を上げ、キリッと引き締めたその表情は美しく、王女としての決意が滲み出ていて。
こんなに細くて、守ってやらないと壊れちゃうんじゃないかってくらい儚げな感じなのに、なんて。
なんて………力強くきらめく、瞳。
選ぼうと思えば、いくらでも楽になる道があるはずなのに、あえて厳しい道を歩んでいる。並の人間ならすぐさま負の感情に支配される状況にありながら、たった一人で、くじけずまっすぐ前を見つめる明るい光を宿す瞳。
「ここまでくると、意地の張り合いだよね。ピッコロさんも、わたしも。………ほんとはね、何回もピッコロさんに『YES 』って言っちゃおうかと思うこともあった。あの人はすごく悪ぶってて、自分は大魔王だー、なんて言ってるけど、根は結構いい人だと思うから」
「呪いをかけたのにか?」
「うん。だって、本当の悪人だったら、こんな回りくどいことしないと思う。わたしと結婚して、命の水を自分のものにする方法なんて、国を滅ぼしてみんなを殺しちゃったり、わたしだけ攫っちゃったりしたほうが簡単でしょ?なのにあの人は、一人として殺してないし、まあ、かなり歪んだやり方ではあるけど、わたしの気持ちを待っててくれてる」
待ってられても困るんだけど、と。うつむきがちに微苦笑を浮かべながら話すの横顔は、ひどく美しくて。
意図せず見惚れてしまっている悟空に、今度は顔を上げて明るく強くきらめく瞳を向け。
「けど、こんな王女でも、この国に必要不可欠って思ってくれる人たちがいるから。だから、こんなやり方には意地でも負けられないかな、なんてね」
クスリ、と笑うの芯の強さに、軽くたじろぐ自分を感じる。
「――――――そっか。強えんだな、おめえ」
「ていうか、すごい負けず嫌いなだけ。それに昔から、超絶前向き思考と向こうっ気の強さだけは自慢なんだ」
いたずらっぽく笑ってから、ふと、思いついたようにが周りを見回した。
初めて会ったのに、なぜか昔から知っているような感じがして、そして、なぜか胸がドキドキして、時間も忘れて話していたけれど、気づいてみれば城の中には夜の帳が下りている。
もっと話していたい、もっと一緒にいたい。
溢れてくるそんな気持ちを唇をかんでやりすごし、は泉のふちから立ち上がった。
「さて、と。いつの間にか夜になっちゃいました。そろそろお城を出ないと、ピッコロさんが来ちゃいます。そんなわけなので、早く帰って命の水、お父様に飲ませてあげてください」
一瞬目を伏せてから、小さく「悟空のお父様が早く良くなりますように」と呟き、笑顔を作って悟空を見る。
「悟空、どうもありがとう。お話できてすごく楽しかった。また……があるかどうかはわからないけれど、いつかまた、会えたらいいな」
そう言って笑うの顔は、とても柔らかくて優しくて、けれどもすごく、寂しそうで。
すでに心を奪われてしまっていた悟空は、彼女のそんな笑顔を見ていたら、どうしても言わずにはいられなかった。
「………オラと一緒に、来ねえか?」
「……………………は?」
言われた意味がすぐには理解できず、キョトン、と悟空を見返せば、彼はどこか困ったような、照れたような笑顔を自分に向けていて。
「変、だよな。おめえとは今日会ったばっかりなのによ、なんでかな。おめえとずっと一緒にいたい、なんて思っちまったんだ」
赤くなった頬をかきながらのその言に、の心臓がひときわ大きく脈を刻んだ。
ドキンドキンと騒ぐ胸に比例するかのように、顔が熱くなってくる。
なんだろう……すごく、嬉しい。
どうしよう、一緒に行きたい。……わたしも、ずっと一緒にいたい。
こんな穏やかな、優しい笑顔がいつもそばにあったら、それだけで幸せになれるんじゃないか。
――――――――――――でも。
「………ダメ。わたしはこの国から出られない。さっきも言ったけど、わたしはここに必要不可欠な王女ってことになってるし、それに…………一歩でもこの国から出たら、みんなが死んじゃうから」
「それも、呪い、なのか?」
深くうつむいたが、小さく頷く。
「そうか……。じゃあ、仕方ねえな」
あっさりと引き下がる悟空に、はこれでいいんだ、と強く自分に言い聞かせる。
この上なく甘い、誘い。けれど、絶対に叶わない願い。
呪いをかけられたこの状況下にあって、こんな穏やかなひと時を過ごせただけでも幸せなんだ、と。零れそうになる涙を必死にこらえて。
「ごめんね。そして………ありがとう」
震えそうになる声をなんとか絞り出してそう伝えると、悟空は眩しすぎるくらいの笑顔をそんな彼女に返し、くしゃ、と。
の頭を優しく撫でて、その場を去った。
悟空の背中が見えなくなった後、再び泉のふちに腰をおろした。
ポタリ、と膝に落ちてきた雫に少し驚いた。
長い間我慢していた、涙。なんで、こんな簡単に流れてきてしまったんだろう。………なんで、こんなに胸が痛いんだろう。
次から次へと溢れてくる涙に両手で顔を覆い、今まで感じたことのない初めての胸の痛みに、は久しぶりに泣いた。
すでにとっぷりと陽の落ちた城内。
中庭から出た悟空は、気配を殺して城の入り口の物陰に身を隠していた。
出逢ってから、たった数時間。
恋に落ちるなんて案外簡単なものだ、と思っている自分にちょっと笑ってから、ポツリ、と呟く。
「仕方ねえから、呪いをかけたヤツをぶっ倒す」
静かな声とは裏腹に、いつも穏やかな光を宿すその漆黒の瞳が、ギラリと鋭くきらめいた。
そして、それから半時も経たずに。
静まり返った城の中に、午前0時を告げる鐘の音がやけに大きく響き渡った。
to be continued...
つうわけで、もう思いっきり妄想ほとばしるストーリー。
いい加減にしろ、と言われそうですが、まだ続きます、すいませんっ!
出演者たちに袋叩きにされる前に、逃走します!
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