大好きな悟空に婚約者がいた。
衝撃の事実に大いに心を乱された
さらにはその婚約者から「悟空のそばから消えろ」とまで言われてしまい、深く深く傷ついた。
――――――でも。
その婚約者さんはすごい美人さんで、しかも悟空のことが大好きって気持ちがひしひしと伝わってきたから。
あの人なら、大丈夫だろう。
きっと、悟空は幸せになれるだろう。





第十六章:失恋






「………ほんっとに、それでいいワケ?」

ブルマの胸で泣きじゃくっているの様子に、その場にいたランチたちは気を利かせて席をはずしてくれた。
好きなだけ泣かせてもらって、ようやくいくらか落ち着いて、事情をすべて話したに、ため息混じりにそう聞くブルマ。

「うん。だって、約束したって言ってた。悟空が、約束敗れると思います?」

手元に視線を落としたまま、が沈んだ声で答える。

悟空は、優しくて素直で、そして何よりもとってもお人よしなのだ。
約束を反故するなんて、できるような人じゃない。例えそれが、どんな無理な約束だって。てゆうか、素直だから、できない約束なんて初めからしない。

悟空がチチと話せば、きっとその約束を思い出す。どんな意味合いだったにしろ、「嫁にもらう」と約束したからには、きっとそれを果たしてしまうだろう。
だって、その相手が悟空を利用しようとしてるとか、なんとなく結婚してみたいからとか、そんな理由でその約束を持ちかけたら、絶対に譲れないけど。

あの人は違う。
あの人は悟空のことが大好きだから、結婚したいって思ってるんだ。
わたしを罵倒したのだって、その愛情の裏返し。


「そうねぇ。ちゃんがそう言うんなら仕方ないけど……。でもね、昨日孫くんに会って、ああずいぶん変わったなぁ、って思ったのよね。確かに、見てくれもかなり変わったんだけど、中身がね」

「中身?」

「そう。まぁ、世間知らずなトコとか基本的には同じなんだけど。強くなることが何よりも楽しいって感じだった孫くんが、女の子連れてくるし、その子ととっても楽しそうに話してるし、その子のこと守りたいって思ってるのがバレバレでね。ああ、あのチビだった孫くんも、ずいぶん大人になったのねって思ったの」

きょとんと見返してくるに、ほんとに孫くんと同じくらい鈍い子ね、とブルマは苦笑し。

「つまり、孫くんはその子―――ちゃんのことが好きなんじゃないかって思ったわけよ」

大概鈍いでも、そういえばわかるだろうと思ってブルマは言ったのだが。
喜ぶはずのその言葉に、は逆に深くうつむき、瞳を潤ませた。

「――――――違うの、ブルマさん」

は顔を上げ、ブルマの目を見つめる。真っ赤になった目が痛々しい。

「なにから言ったらいいのか……。わたし、実は異世界の人間なんですよ」
「はぁ?」

案の定、ブルマにはわからなかったらしい。

「えぇと、もともとこっちの世界には存在するはずがなかったって言うか…。わたしの世界は他にあって、ちょっとしたアクシデントで悟空と一緒にこっちに来ちゃったの」

「――――――なんだかよくわからないけど、とにかく異世界を越えちゃったって事かしら?」

「そうだと思う。…わたしがこっちに来ちゃったのは、わたしの責任であって悟空はいっさい悪くないんですけど、悟空はその責任を感じちゃってて。それで、寂しくないようにずっと一緒にいてやるって言ってくれたの。だから……好きだ嫌いだの問題で守ってくれてるわけじゃないんです」

ほんとは、少し期待してた。
あんまり優しくしてくれるから、もしかして…なんて図々しくも思ってた。

今思い返してみると、最初のうちは「可愛い」とか「好きだ」とか、別に深い意味ではないにしろよく言ってくれていた悟空の言葉、ここ最近まったく聞いていない。

やっぱり、全部自分を慰めてくれる素材だったのか。
それとも、自分に婚約者がいるのにあんまり期待させちゃいけないと思って言ってくれなくなったのか。



悟空がチチに声をかけられて「誰だ?」と言った(すなわち、悟空がチチのことを忘れていた)ことなど、悲しみに打ちひしがれへこみのどん底にいるの念頭からはとうの昔に消えうせ。思考は否が応でも、自分に向けられていた優しさはすべて、をこっちに連れてきてしまった悟空の罪滅ぼしだった、という方向に向いてしまって。



――――――悟空がそう言えなくなったのは、を好きだと意識してしまったからだなんて鈍いが気づくはずもなく。最低最悪のカン違いが導き出すその答えは。




「失恋って……こんなに苦しいもんなんだ………」


自分で言ったその一言が、やっと落ち着いた涙を再び誘導してしまう。

痛い。
強く圧迫されるように胸が痛くて、苦しくて。



できることなら、悟空とずっと一緒にいたかった。
『ずっとそばにいてやる』って言ってもらえたあの日、あの瞬間。
わたしは、世界一の幸せ者だったって、自信をもって言える。




でも―――――――――自分が悟空のそばにいたら、悟空は約束を守れない。
正直な悟空が約束を守れなくて困るのは明らかで。
だから。大好きな悟空を困らせるなんてことしたくないから。
――――――――――――これ以上、悟空のそばにいちゃいけないんだ。







深く深くうつむいて涙を零している自分がたまらなく弱虫に思えて、は唇を噛んで涙をぬぐい顔を上げて。それからハッとしたように予選会場のほうに一瞬視線を走らせ、勢いよく立ち上がった。

ちゃん?」

の突然の予期せぬ行動に、ブルマが問うと、は焦ったようにその瞳を揺るがせて。

「ごめんなさい、ブルマさん。悟空がこっちに向かってるみたいなんで、わたし逃げます!」

「ダメよ!!!!!」



身を翻そうとしたを、ブルマが強く諌めた。

昨日も思ったが、悟空やにはなにか相手の気配のようなものを感じて誰がどこにいるのかがわかる特殊な能力があるようだ。が悟空の気を間違えるはずもなく、彼女がそう言うのなら間違いなく悟空はここにやってくるだろう。

ブルマは自分の強い声に振り返ったの戸惑うような瞳をしっかりと捕まえた。


「逃げちゃダメよ。それじゃなんの解決にもならないでしょ? ちゃんは勝手に、孫くんとその婚約者が一緒になれば幸せになれるって決めつけてる。でも、孫くんは? 孫くんが本当にそう思ってるって、言い切れるの?」

「それは………、だって………」

「諦めるのは、孫くん自身にそう言われてからだって遅くないはずよ」

「だけど―――――――――」

ちゃんはその言葉を聞くのが怖いのよ。だから逃げ出そうとしてる。でも、それじゃダメ。ちゃんと向き合って、ちゃんと話すべきよ。そうしないと、この先ずっとひきずる羽目になるわ。恋は一人じゃできないものよ。諦めるにしろ、実らせるにしろ、自分で勝手に結論を出しちゃダメ。相手の意思を無視しちゃダメよ。わかる? ちゃんに今欠けてるものはね、孫くんと向き合う勇気よ」


勇気、と呟くの手をしっかり握り、ブルマは頷く。


視線をさまよわせていたが一瞬うつむき、それからブルマの真剣な顔を見つめ返して。

大人だな、と、そう思う。
そんなこと、思いもしなかった。
言われてみれば、確かに今、悟空と目を合わせることさえ恐れている自分がいて。


「そう…ですね…。ホントに、そのとおりです。わたしって………なんて弱いんだろ」

ありがとう、と笑うに笑顔を返して、ブルマはの肩を柔らかくたたいた。
ほんとに素直で、思考は柔軟で、こんなに可愛いが、フラれるはずがない、と確信しているブルマ。


でもはやっぱり不安なのだろう。再び笑顔を曇らせると、すがるようにブルマを見る。

「けど……少しひとりで気持ちを整理したい。今悟空と顔を合わせても、笑える自信、ないから。多分泣いちゃって、話なんてできそうもないし。だから、少しでいい、時間をください」


必死な面持ちのを見て、ブルマは軽くため息をついた。

「………わかったわ。行きなさい」


握っていた手を放す。
はもう一度「ありがとう」とブルマに伝え、パタパタと走っていった。



その後姿を見送りながら。

「あんなに可愛いちゃんを泣かせるなんて、まったくバカなんだから!!」

傍から見ていて、悟空だってどう考えてもに気があるようにしか思えないのに。
独り言を言いながら、まもなくやって来るであろう悟空になんて言ってやろうか、とひそかに黒い笑みを浮かべるブルマだったという…。

















一方その頃、悟空のほうは。

チチがあの牛魔王の娘の成長した姿であることを本人から教えられ、確かに子供の頃、嫁にもらいにくるって言ったことを思い出し。

(どうすりゃいいんだ!?!?!?)

と頭を抱えていた。


あの頃、『嫁』という言葉を知らなかった自分の無知に、自分のことながら呆れ果ててモノも言えない。
純粋に、なんの疑いもなく、食べ物だと思っていたのだ。
そんな呆れた勘違いで、簡単に「もらいにくる」と約束してしまい、その言葉をずっと信じて待っていたと泣くチチに、どうしようもなく申し訳なくて。



けれど、今はその言葉の意味をちゃんと理解している。『嫁にもらう』ということは、男女が結婚するということ。家庭を築き、死ぬまでずっと一緒に暮らすということ。



約束を守る=とはもう一緒にいられない。―――――――――それは、イヤだ。
そして。
約束を破る=チチをものすごく傷つけることになる。―――――――――それも、イヤだ。


どうしよう、どうしたら……と視線をうろうろと彷徨わせ、過去ここまでアタマを使ったことなどなかっただろうと思うくらい悩みに悩んで、考えに考えて。



そうして、思い出した。





『今までありがとう。悟空と一緒にいられて…悟空に出逢えて……とっても。とっても幸せでした!』


今にも泣き出しそうな、そんな笑顔でが言ったあの言葉。

まるで、もう二度と会えないような、言外に『さよなら』を思わせる彼女の震える声と表情にすごく不安になって、思わず口をついて出た自分のセリフはなんだったのか。




『なに言ってんだ? これからも一緒だろ?』


がなぜかどこかに行ってしまうような気がして、それがたまらなく不安で。
ムリに笑ったのは、そんなことあるはずない、と思い込みたかったから。
―――――――――が、自分から離れることなんかあるはずない、と。

















「――――――――――――チチ、悪ぃ」










傷つける。
わかってる。
でも―――――――――




















――――――――――――――――――――――――を失うことなんて、考えられない。















涙をためたチチの瞳。
自分が今しようとしていることは、彼女の気持ちを踏みにじってしまうことだ。
わかっていても、もう、止まらない。
止めようとしても、ダメなんだ。
自分でもコントロールできないくらい、溢れてきてしまうこの想い。










「アイツが…………………………………………………………が、好きなんだ…………………………」





ポツリ、と。
その場に落とされたその一言。



絶望と悲しみが広がっていくチチの瞳をしっかり見つめて。



「―――――――――ほんとに、ごめんな」





謝っても謝りきれない。
怒鳴られてもなじられても、なんの弁解もできない。
せめて、目を逸らさずに、向き合うことぐらいしか思いつかない。















「―――――――――残酷な男だべ」
「そうだな」
「ずっと待ってたおらが、バカみてぇでねえだか」
「………………………」
「許せねぇ。乙女心も知らねぇでよ。おら、悟空さのことぜってぇ許さねぇだ!!」
「チチ………………………」





怒りと悲しみで震えるチチの声。
なにも言えなくて。とにかく申し訳なくて。






立ち上がったチチはうなだれる悟空にくるっと背を向けた。



「――――――だけんど、あの女子は別だべ」

チチの言葉に、悟空は顔を上げた。視界に入るのは、チチの背中とまとめられた艶やかな長い黒髪。

「あの女子、おらの気持ちを優先して、身を引こうとしてくれただ。………殴っちまって悪かったって、伝えてけろ」


動けない悟空をふり返り、チチは鋭く彼をにらむ。


「なにボケッとしてるだ!!! さっさと行くだ!!!」

「へ?」

「幸せにしてやるだよ。おらを捨てるんだ、それくらい簡単だべ!?!?」


かなり無理をしているのだろう、チチの声は上ずって震えていた。
悟空はもう一度チチの瞳を見つめ、ガバッと音がするほど勢いよく頭を下げた。



「ほんとに、すまねぇ!」

「謝ってもらったって、許す気なんてねぇだ!! さっさ行ってけろ!!!」」



チチの発言の意味はよくわからなかったが、悟空はもう一度「ごめん」と彼女に頭を下げると、の気配のするほうへ駆け出した。




その背を追うチチの瞳は、深い哀しみに沈んでいたが、吹っ切るようにそこから視線をはずしキッと顔をあげて前を見つめた。

気持ちはすべてぶつけた。玉砕だったけど、悶々とただ待っていたこれまでよりも清々しい気分だ。
悟空も、結果はどうあれ、逃げずに真っ向から自分を見てくれた。

チチは一つ息を吐いて、肩の力を抜く。

例え悟空が約束どおりチチを嫁にもらってくれたとしても、がいるかぎり幸せにはなれなかっただろう。
本当に憎らしいし、はっきり言って邪魔以外の何者でもないのだが。

なぜか、憎みきれない。
の雰囲気は、柔らかで、暖かで。
なんとなく、悟空が心を奪われた訳がわかってしまう。















これでいいんだ、と。

痛む胸を押さえながら、チチは何度も自分に言い聞かせていた。






















チチさん、ごめんなさい・・・m(__)m
そして、みなさま、ごめんなさい・・・m(__)m
ほんとにもう、傷つけてしまって申しわけありません!!!