穏やかで、緩やかで、それでいて圧倒されるほど大きな気。
一番大好きな、心地の良い気配。
その気が今、近づいてくる。
――――――まぁ、気を消すのをやめたから、見つかるだろうとは思ってたけど。
「よくわかるだな。それも恋の力ってヤツけ?」
「いえいえ、厳しい修行のタマモノってやつ。恋とはゼンゼン関係ないよ」
感心するチチさんの言葉に、ちょっと苦笑してそう答えて。
「うぅ〜。決心したとはいえ、やっぱ逃げ出したくなってくる〜」
ドックンバックンうるさい心臓の音がさらに緊張を促して、思わずそんなことを呟いてしまったら。
「何言ってるだ! 女は度胸だべ!! おらもう行くから、しっかり伝えるだぞ!!」
チチさんにバシッと強く背中を叩かれ、念を押されてしまった。
同じ人を好きになって、切ないのも辛いのもモチロン今のこの恐怖だって、同じく感じたチチさん。
どんな気持ちで励ましてくれているのか、わからないはずもなく。
「ごめんね。……ありがとう」
謝罪と感謝の言葉を伝えたら、柔らかく笑ってくれた。





第十八章:『すき』






の気配を探しに探して。
天下一武道会の会場内にいるなら見つからないはずがないのに、彼女のそれを感じられなくて、焦りに焦って闇雲に走り回っていた悟空にブルマの落とした一言。
すなわち。

『孫くんに会いたくないからって逃げちゃったわよ』

そんなことあるはずないって思いたかったが、今の気配を感じないということは、たぶん彼女の意思で気を消しているのだろう。
先刻の『今までありがとう』宣言といい、完璧に気配を消していることといい、いくら鈍い悟空でもコレは避けられている、という事実に精神的に大打撃を受けてしまう。


自分はこんなに弱かったのか、なんて落ち込みへこんでいたときにふわっと感じた柔らかな気。
間違うはずもないその心を和ませてくれる気をやっと見つけて。



――――――もう、迷ってなんかいられない……!!!



再びその気配が消えてしまう前に。
が自分の腕からすり抜けていってしまう前に。
―――――――――絶対に、捕まえなくては!!!










!!!!!」
「は、はいぃ!!!」


疾風の如く武舞台裏選手控え室に悟空が走りこんできたのは、チチが出て行ってから数分後のことだった。
入ってくるなり大音量で名を呼ばれ、ビックリして思わず大声で返事をするの、その顔。

見開かれた目は、今はもう涙は見えないが、赤くて少し腫れている。
驚きで高潮した頬に、かすかに残る涙のあと。
―――――――――やっぱり、自分が泣かせてしまったのだろうか。


走ってきたために乱れていた息を深呼吸で整え、悟空はゆっくりに近づく。
驚かせないようにそっと手を伸ばし、その柔らかい頬に触れた。



「あ、あの………」

小さく身じろきしたの、戸惑ったような声。



、すまねぇ。オラ、あの日ぜってぇおめぇをひとりで泣かせねぇって、そう思ってたのに……」

「あの日?」



疑問符を浮かべるその表情に、困ったような苦笑が浮かぶ。
をこちらの世界につれてきてしまって、彼女がもう帰れないと知って泣いたとき。悟空の謝罪の言葉に返ってきたあのときの彼女の笑顔が、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。

あのときからずっと、とずっと一緒にいようと、絶対に泣かせちゃいけないと、そう思い続けていた。



悟空の瞳に困惑と後悔の色を感じ取り、は少なからず動揺した。
ふだん楽観的であまり深く考えない悟空にそんな顔をさせているのが、他でもない自分だと思うと、たまらなく申し訳なくて。


「あの、あの、ね! き、気にしなくていいよっ! ほら、わたし泣き虫だし、別に悟空のせいで泣いてたわけじゃないから。ごめんね、心配させちゃって。だから、そんな顔しないで、ね!」







―――――――――はいつもそうやって、自分を気遣って笑ってくれる。こんな、目が腫れるまで泣かせてしまったのに、いつだって『気にするな』って。………そんなの、ムリにきまってる。






「気に、なるぞ」

ポツリ、とこぼれたその言葉に、はますます困った顔をした。
そんなに悪いと思いつつ、悟空はその瞳をしっかりと見つめて。


「すごく、気になるんだ、おめぇのこと。泣いてたって笑ってたって、気になって仕方ねぇよ」

「ご、ごめん」


謝りながら、つついと目を逸らす
悟空から見て、自分はそんなに危なっかしく見えるのか、なんて軽い自己嫌悪に陥ってしまっていたりして。




そして悟空は悟空で、がまた何か違う方向に思考を向けてしまったか、とその言葉と表情に反射的にため息を落とし。もうここで言ってしまわないと、絶対にわかってもらえないと、そうは思うのだが。

あんなに硬く決心したのに、どうしてを前にすると言えないんだろう。たった二文字。『すき』の一言が、限りなく遠く感じる。言わなきゃまた、彼女を泣かせることになるかもしれないのに。また、彼女を失う恐怖を味わうことになるかも知れないのに。




そんな悟空とは裏腹に、はバックンバックンと口から飛び出してしまいそうなほど暴れる心臓をなんとかなだめ、言わなくちゃ、と手に汗を握りながら悟空と見たのだが。
そのあまりにいっぱいいっぱいな表情に疑問を抱きつつ。



「あ、あのね、悟空?」

相当切羽詰った顔をしていたのだろう、が遠慮がちに声をかけてきた。

「ん?」

軽く息を吐き出し、幾分か落ち着いた表情でを見返すと、上目遣いで自分を見返す彼女と目が合った。

「さっきね、ここで、チチさんと話してたんだ」

「え゛!?!?」


思わず、そんな焦りに焦った声が飛び出した。
チチと、話してた!?!? ってことは、ま、まさか………!!!


「悟空、好きな人がいるんだってね…」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


答えられずに真っ赤になって固まる悟空の様子に、は肯定を悟って思いっきり気落ちしてしまった。



やっぱ、いるんだ。好きな人、いるんだ……。
チチがウソつくはずないってわかってはいたけれど、本人のその動揺した顔を見ると、間接的に聞いたよりも数倍威力のあるその衝撃に撃沈させられそうになってしまう。




のその態度からして、多分自分が好きなのが彼女であるということは伝わっていないのだろうと判断し、ホッとする反面、さらに誤解を招いてしまっているその事実に、悟空は眩暈を覚える。

やっぱり、今言ってしまわないと、取り返しがつかなくなってしまう!!!


悟空はぐっと拳を握り、覚悟を決めた。
に向き直り、その言葉を伝えようと口を開こうとしたが、一瞬早く、撃沈する寸前でかろうじて踏みとどまったが、悟空の瞳をとらえた。まっすぐにその漆黒の澄んだ瞳を見つめて。


「えと、うん。そうなんだ……そっか。――――じゃあ、これから言うことはとりあえずわたしの独り言だと思って聞いてくれる?」

「は?」


伝える気満々で意気込んでいた気合を流され、悟空の口からそんなまぬけな声が漏れる。


は悟空のその様子に、少し微笑んだ。
聞き返してくる、そのきょとんとした顔。そんな顔も、大好きだ。


「こんなこと、こんなときに言うべきじゃないってわかってるんだけど、ね。もういっぱいいっぱいで、前にも進めなければ後にも引けなくて。とりあえず言っちゃわないと、もう限界で。ほんと、自分勝手な理由でゴメンナサイって感じなんだけど」

そこで言葉を切り、張りつめたようなのその視線が悟空の緊張を誘う。


なんだ…? この緊張感。
まさか、!?



は、顔どころか身体中が真っ赤で。必死だとわかるその鳶色の瞳はうっすらと潤み、それでも熱く甘く煌めいていて。
ひたと自分を見つめるその瞳に、熱くなる、この想い。

大きく息を吸い込み、そしてゆっくり吐き出すそのしぐさ。
一瞬うつむき目を閉じて、それから向けられたの笑顔は。





―――――――――息を呑むほど、綺麗だった。





「悟空、わたし……わたしね。悟空のことが、す――――――」
「ちょ、ちょっと待った!!!!!」




悟空はに向かって手で制し、その言葉をさえぎった。
『告白は、男からするもの』だというミスター・ポポの声が、唐突に頭に響いた。

気持ちを伝えることが、こんなに勇気のいることだったなんて、初めて知った。
そして、だって、相当な勇気を振り絞って、今自分にその気持ちを伝えようとしてくれた。だが。






ここでに先に言わせてしまうのは、男として、どうなのか。










一方さえぎられてしまったはというと。

そんな、告るコトさえ許してもらえないんだろうか、なんて、またまた勘違いの極致にぶっ飛び、へこみのどん底にハマり込み、肩にのしかかる重たい空気にガックリとうなだれてしまう。

それから、妙に悔しくなった。



「―――――――――伝えるくらい、いいじゃん………」

うつむいて、ポツリとこぼされたの声は、自分でもわかるくらい震えていて。

「は?」

なんだか不穏な空気を感じ取り、悟空がたじたじとしながらを見ると、キッと顔を上げたの瞳には炎がともり、ボロボロと涙が頬を伝っていた。



「そりゃ、悟空にとっては迷惑だったかもしれないし、好きな人がいるんだもん、困るんじゃないかって、わかってたよ? でも、でもさ! 聞いてくれたっていいじゃない!! すごく、すっごく怖かったのに!! 死ぬほど苦しくて、死ぬほど悩んで、やっと……やっと決心したんだよ!?!? それなのに………それなのに!! ひどいよ!!!」


胸を覆った切なさと痛みのまま、は悟空に泣きながら怒鳴り、そのままその場から走り去ろうとした。
だって、ぶつけてしまったその気持ちは、八つ当たり以外のなにものでもなく。
感情が溢れ、おかしくなりそうだった。
そしてなにより………こんな惨めな自分を、これ以上悟空に見られたくない。





悟空のとなりをすり抜けようとしたとき、ガシッ、と素早く腕をつかまれた。



「やだ!! 放してよ!!!」

振りほどこうともがくと、さらに強く、強く握られて。

「痛い、放して!!!」



「いやだ、放さねぇ」





低い、低い悟空の声。
初めて聞いた、そのかすれた声に、は思わず悟空を振り仰いだ。
そこにあったのは、熱くて真剣な、悟空の瞳。



「ったく。おめぇなぁ、ちゃんとオラの話も聞いてくれよ。勘違いされて逃げられたんじゃ、オラだっておめぇを探してここまで走ってきた意味ねぇだろ?」

そう言って、悟空はの腕を放す。
自由になったは、なおも逃げようと悟空に背を向け走り出そうとした瞬間。












背後から回ってきた二本の腕。
それに行く手を阻まれ、バランスを崩して後ろに倒れこみ、ドン、と背中にぶつかった温かい感触。
次いでその二本の腕が、ぎゅっとの胸の前で組み合わされた。


















「………………………………………………………ぇ」



突然のことに思考が停止した。









「―――どうだ? これで逃げられねぇだろ?」


悟空が、耳元で囁く。その、吐息が耳にかかるような近い位置。


背中に感じるその温かさ。回された腕からも、柔らかい体温を感じて――――――――――。













ようやく、後ろから抱きすくめられていることを理解した。














「ぇ?……え?」


状況が飲み込めず、プチパニックを起こしかけたを、悟空はさらにひとつぎゅうっと抱きしめ。














「オラが、好きなのはなぁ。オラが好きなのは、。おめぇだよ」

の肩口に顔を埋めると、サラサラの髪の毛が悟空の頬をくすぐり、抱きしめた華奢な身体からは、心地よい体温が伝わってきて。
………自分でも驚くくらいするりと、素直な心がこぼれ出た。

「ちょっと頑固で泣き虫で、感情的なときもあるけど……明るくて素直で優しいが、大好きだ。おめぇが、大切なんだ、他の何よりも」
















悟空の言葉が、の意識の中に、降ってくる。


悟空がそっと、を放した。








もう、逃げる気なんかどこかに吹き飛び。
むしろボーっとするアタマでは、動くことさえ儘ならず。





な……に? わたし、、、起きてる………?












呆けたようなを自分のほうに向き直らせ、再度抱きしめる。
ふわっと香ってくる甘い香りと、柔らかいその感触。
何の抵抗もなくすっぽりと自分の腕の中に納まってくれているその愛しい存在に、悟空はひどく安堵する。














「……これは、夢なんでしょーか……」


悟空の腕の中、夢うつつの表情で、ボーっとした声を出す
このセリフ、ずっと前に、聞いた。
がこっちの世界に来て、悟空に言った、第一声。




「いや、起きてると思うぞ?」


クスリと笑って、あの時と同じ答えを悟空が返す。












ジンワリと、胸に広がる熱くて甘くて、そして少し切ない想い。
徐々に戻ってくる、の素の意識。




















戸惑い、戸惑いつつ、悟空の背中に、腕を回してみた。
ドキドキ騒ぐ心臓の鼓動が、二人分。ぴったりくっつく胸から伝わってくる。
とたんに感じる、安心感。









―――――――――あったかい。
なんて、落ち着く場所なんだろう。なんて、気持ちいいんだろう。





知らなかった。こんな安堵感が、この世に存在していたなんて―――――。















「――――――悟空」
「ん?」
「気持ち、いい。なんか、ホッとする」
「うん、オラも」












目を閉じて悟空の温もりに身を預けながら、は穏やかに微笑んだ。





「悟空が、すき。ずっと前から、悟空と出逢う前から、ずっとずっと………大好きだった」






の言葉に返ってきたのは、柔らかい抱擁と、悟空の温もり。













―――――――――やっと捕まえた、の心。絶対にもう、離さない。
―――――――――やっと行き場を見つけた悟空への気持ち。もう、離れない。














それぞれの溢れる想いを、お互いに受け止めあって。




















今やっと、二人の心が向き合った。





















やっとここまできてくれました///
お忘れかとは思いますが、今は天下一武道会の最中です。
状況まったく無視してます!!!
管理人のおバカーーー!!!