涙を流すが痛々しかった。
自分のせいで異世界に迷い込み、二度と帰れないと聞かされた彼女。
それがいかに多くのものを失うことになるのか・・・彼女の涙が物語っていた。
許しを請おうと頭を下げたら、「悪いのはわたしだからあやまらないで」と言われた。
ムリヤリ浮かべられたその笑顔に胸が熱くなって。
自分を気遣う彼女の優しさに、初めての感情が生まれた。
――――――とずっと一緒にいよう。彼女がひとりで泣かないように。彼女が、寂しい気持ちをひとりで抱えこまないように。
それが、今の自分にできる最善のことだ。
悟空はの頭を撫でながらそう決意した。




第三章:修行はじめ





ふわふわと雲の上を歩くような感覚。
夢のようだけど、現実だったその事実。


――――――そう、は悟空の存在する世界へと次元を超えてやってきた。


もといた世界に未練タラタラで、不覚にも落ち込み涙をこぼしてしまったに悟空が言った言葉は、彼女を立ち直らせるには充分すぎるほどだった。
女の最大の武器である涙。それを簡単に見せるのは卑怯だと、そう持論していたが、この時ばかりはよくぞ泣いたと黒い笑みが浮かんだ。


その言葉を聞いて安心したら、ひどい睡魔が襲ってきて。



再び神殿のベッドの上で目を覚ましたときには、気分がすっきり爽快だった。
持ち前のプラス思考と立ち直りの速さに今は非っ常に感謝する。(単純ともいえる)
とにもかくにも、立ち直ったはベッドに横になったまま軽く瞬きをして、せっかく偶然にもこっちの世界に来られたというのに、帰れないことでクヨクヨめそめそしてたら時間のムダじゃん、なんて思った。


先ほど勢いよく起きて悲鳴を上げた身体のことを思い出し、一応人間なので学習能力を駆使してゆっくりと身体を起こしてみる。と、痛みはほとんど消えていた。
そのことにホッとしつつ、は迷うように首をことりと傾ける。



………勝手に歩き回っても大丈夫だろうか?



少しの間考えていたけれど、精神的に安定してしまったら今度は困ったことに好奇心がむくむくと頭をもたげてくる。何せ今、自分は異世界の、しかも神様の住まう『神殿』とやらにいるのだ。ここで探りを入れたくなるのは人間のサガというものだろう。


「・・・・・・・・・・・・」


だめだ、我慢できない・・・! 見たい知りたい確かめたい!!! 


は自分の熱い探究心を満たすべくベッドから静かに抜け出すと、部屋の外へと続く扉をそっと押し開けた。




「わ、眩し……!」


一歩部屋から出るとそこはまっすぐに伸びた廊下で、その先から太陽の光が差し込んでいた。
どのくらい寝こけていたのかは分からないが、ずっと薄暗い部屋にいたにとっては久しぶりの陽光で、目が慣れるまでじっと待つこと約数十秒。
やっと薄目を開けられる程度に視力が回復し、は光の射す方向へ歩き出す。


今、わたしは神殿の廊下を歩いて外に向かっています・・・!


ドキドキと胸を躍らせながら、心の中で実況中継をしてみた。
廊下の左右にいくつか扉が見えたけど、今はしばらく出ていない屋外が恋しくて、まっすぐ歩いていく。


外に出ました! これが神殿のお庭です!!


飽きもせず、いまだ中継ごっこを続ける
さすがにちょっとしつこいかな…なんて思いながら、は庭を見渡した。


一言で言えば、ただっ広い庭。


円形の庭に、石畳の床。今が立っているところはその庭の最奥にある建物の真ん中の入り口で、左右にはプランターに植えられたカラフルな可愛い花。目を上げて視野を広げてみれば、円形の庭の端のほうには元の世界で見た椰子の木に似た植物が縁取るように植えられている。


ただなんとなくその木に触れてみたくなって、の足は庭の端に向いた。

別に悪いことをしているわけではないのだけれど、なんとなく足音を立てないようにこっそり歩いて、植物に手を触れた瞬間、必然的に視野に入ってきたその先の景色に、の足は恐怖ですくみ、動かなくなった。


「なに・・・、此処・・・・・・!」


その椰子の木の先、神殿の庭の終わりには、何もなかったのだ。
いや、正確にいえば、空があった。つまり・・・



(此処、宙に浮いてる・・・・・・!)



―――ここで補足説明をば。
は、高所恐怖症である。
なぜ高いところが怖くなったかというと、彼女がまだ小学生の時分にさかのぼる。
イナカ育ちのは、相当なお転婆娘だった。(いや、今現在もそうなのだけど)
ある日、彼女は弟と自分の家の庭にあった木で木登り競争をして、見事勝利を収めた。・・・までは良かったのだが。

お約束といえばお約束。下りられなくなった。



それからというもの、その木の上から見た地面の様が目に焼きつき、高いところが一切ダメになった。


なんとまあお間抜けな理由ではあるけれども、高いところが怖いというのは自分でもどうすることも出来なくて、自分が今、ものすごく高いところにいることを理解してしまって、はなんとか後下さろうとしてみたものの、両足は地面に根付いてしまったように動いてくれない。

身体だけが下がろうとしたので、バランスを崩してぺたんと尻餅をついてしまった。



「お前、なにしてる?」
「うぎゃ!?」


びくん!!!


突然、背後から声を掛けられ、変な悲鳴とともにの肩がおもしろいほど跳ねた。


先ほど感じた高所への恐怖に加え、急に声を掛けられた驚きが混じって、心臓はバクバクとさらに騒ぎ出し目が潤む。


立ち上がろうとしたけど、情けなくもびっくりして腰が抜けたらしい。
は尻餅をついたまま、おそるおそる自分の背後を振り返った。



(イ、 インド人!?!?)


それが彼女の頭に浮かんだ一番適切な表現だった。

黒い肌の色、白いターバン。
身長はそれほど高くなく、体系は太め。


―――神殿には、インド人が住んでるのか・・・

そんなどうでもいいような疑問が脳裏をかすめる。

立たない腰のままそのインド人を凝視していると、インド人はの腕をつかんだ。

「ぎゃ・・やだーーー!!!」


まったく面識の無い、しかも無表情で何を考えてるのか皆目見当もつかない男に腕をつかまれ、思わず絶叫してしまったにかまわず、インド人はそのままグイッと彼女を引っ張り、立たせてくれた。


「………?」

も、もしかして、起こしてくれたのかな?
わたし助けようとしてくれた人に向かって絶叫しちゃったの?
すっごい失礼なヤツ…!!

・・・でも、びっくりしたんだもん・・・、なんて心中で言い訳しながらも、とりあえずここは謝るべきだろうと考え直し、はその人に向かってガバッ、と音がするくらいの勢いで頭を下げた。


「ご、ごごめんなさい!!! びっくりしてしまって・・・」
ーーー!?」


が言い終わるか終わらないかのうちに、悟空が大声で彼女の名前を呼びながら走ってきた。


「え・・・?あ、悟空?」


やっぱり夢じゃない。悟空がいる。

やだやだ、マジでスペシャル超カンゲキv


は萌え萌えで嬉しさにボーっとなってしまったが、普段穏やかでマイペースなはずの悟空はなんだかひどく慌てた様子で。


「あー驚れぇた。の様子見にいったらベッドにいねぇし、そうかと思えばいきなり外でおめぇの叫び声聞こえるし。神殿からおっこっちゃったかと思って心配したぞ」

一気に言って、悟空はの目を覗き込むとホッとしたように瞳を和ませた。

「無事でよかった。もう、平気か?」


・・・・・・え?え?
もしかして、悟空、心配してくれた?
わたしのこと、気にかけてくれちゃったりしてくれた?


そんな優しい目をされたら、もう、どうしていいかわからない・・・・・・v


「だい、大丈夫、です!!! あの、えっと、うーんと・・・」

なんとか会話を続けようと必死に言葉を見つけるけど、はもういっぱいいっぱいで、考えれば考えるほど何を言ったらいいのかわからなくなる。



「お前が、悟空が連れてきた、か」


淡々とした口調で、インド人風の男が急に会話に入ってきた。




――――――すいません、悟空の登場であなたの存在を忘れてました。



心の中で謝罪しながら、はその人に向き直り頷いた。


「ハイ、です。さっきはどうもすいませんでした」


ギリギリだった気持ちが逸れて、少し落ち着いたはペコリと再度頭を下げた。
男は表情の乏しい顔で笑いかけ、口を開く。

「わたし、ミスター・ポポ。神様の付き人。今は、孫悟空に、武道、教えている」

また、淡々とした調子でインド人が自己紹介をしてくれた。

「ミスター・ポポさん、よろしくデス」

にっこり笑ったを見て、ミスター・ポポも笑顔を返した。


それを微笑ましく見守っていた悟空が、ふと気づいたようにを見る。

「それはそうとさぁ、、こんなところで何してたんだ?」

「うっ・・・! そ、それは・・・・・・」


悟空とミスター・ポポの二人からの視線を受け、はしばし視線をさまよわせる。それから、ここは正直に話したほうが無難だろうと観念して、ひとつ息を吐いた。


「それは、その・・・ちょっと、探検してみようかなー、なんて、ね」

「探検?」

「そう、探検、デス。こっちの世界ももちろんだけど、神殿なんて初めてだし。ちょっと、その、好奇心が疼いて治まらなくって・・・」

あはは、なんて人差し指で頭をかき照れ笑いをしながら話す

「・・・それで、神殿の庭の端っこに来てみたら、なんか、此処ってものすごく高いところに浮かんでるみたいで。あ、わたし高いトコ苦手で、足竦んじゃって座り込んだところにポポさんに声を掛けられて、それに驚いて今度は腰を抜かしちゃって。立たせてくれようとしたポポさんのこと勘違いして、腕つかまれて悲鳴を上げて、ホントにもう踏んだり蹴ったりってこのことだよね」

言ってるうちに情けなくなってきて、眉根を下げて俯いたの頭に、大きくて暖かい手がポン、と乗っかった。


「元気になったな。よく喋るし、ちゃんと笑ってる。もう、大丈夫だな」


くしゃくしゃ、って頭を撫でるのは、大好きな悟空の手。
ちょっと顔を上げて悟空の顔を窺い見れば、まぶしいほどの笑顔。


悟空の手の温もりがうれしくって、悟空が自分のことを気にかけてくれていることがうれしくって、もその笑顔につられるようにクスッ、と笑う。


「うん、わたし、元気になったみたい」


もう大丈夫、と笑顔を浮かべるに、悟空は嬉しそうに頷いて、それからふと、思いついたようにの顔を覗きこんだ。


「そうだ! 、おめぇ、オラと一緒に修行してみねぇか?」
「修行??」

オウム返しに聞くを見て、悟空は、なんてイイことを思いついたんだろう、といった表情で大きくうなずいた。


「オラと一緒に武術を習うんだ。何かに打ち込んでれば、哀しいことだって薄れるだろ?」


・・・・・・悟空と一緒に、武術を、習う・・・?



「え、ムリ」


の即答に、悟空が不思議そうな顔をした。

「なんで?」

なんで、と来たか!! 

そりゃ、イナカ育ちのおてんば娘で他より運動神経には自信があるけれど。
それはあくまでかけっことか鉄棒とかマラソンとか、所詮は体育の授業の範囲であって。

それに、悟空の身体。

引き締まった筋肉と、の三倍はあるだろうその腕の太さ。胸板だってすごく厚いし、ズボンで隠れてる足だって、きっとムッキーに違いない。
悟空は男で、それはすごい肉体美でカッコいいけど・・・ハッキリ言って、女の子がそんな身体してたりしたら、正直、退かれるだろう。


というわけで、が導き出した答えは・・・


「だって、わたし、女の子ダモン」


まさか『悟空みたいな身体になったら嫌だから』と言うわけにもいかず、昔どこかで聞いたような婉曲なセリフを選んだのだけれど、そんなことで引き下がる悟空ではなかったらしい。


「女だからとかって関係ねえよ。天下一武道会だって、女が出てたりするんだ。オラ、なんとなくは強くなるんじゃねぇかなぁ、て思うんだ」

に、と胸キュンの素敵な笑顔を披露。



・・・・・・その笑顔はずるいだろう。
やっぱカッコいい。カッコよすぎるよ、悟空///



天下一武道会だとか、強くなりそうだとか、そんな意味不明理解不能な言葉が聞こえてきたが、はもう、悟空の笑顔に完全にやられていた。


「な? やってみようぜ? 楽しいぞ!」


ホントに楽しそうに顔を綻ばせるから、絶対ムリ!って思ってたも、なんとなくその気になってくる。

てゆうか、いま自分の前にいるこの人には、ゼッタイ逆らえない自信(?)があります・・・。


「・・・・・・ぅ、ん」

少し、いや、かなり理性の抵抗を感じたが、結局はうなずいてしまった自分の不甲斐なさ。わたしはきっと、友達よりも家族よりも男を取るタイプだろう。

そんなイヤなことに気づいてしまい、は心の中で、ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!!ゴメンナサイ!!!と両親や友人たちに土下座をして謝っている自分を思い描いてしまう。
でも、をそんな腑抜けにした当の本人は、それはもう嬉しそうに破顔して。


「ようし! じゃ、一緒に頑張ろうなっ、!」

悟空のまぶしい笑顔に引きずられるように、も引きつった笑顔を浮かべた。

「は、はい。でもマジまったく経験が無いんで、お手柔らかに・・・」

不安げなその発言には、ミスター・ポポが答えてくれた。

「大丈夫。ポポが、一から教えてやる」

一から、という彼の言葉に、はほんのちょっと安心した。




もう二度と帰れないかもしれない元の世界。
二度と会うことができないかもしれない顔・顔・顔。
不安だし、淋しいけれど、この現実を受け入れなくちゃ。
わたしはこれからこっちの世界で人生を歩むことになるのかもしれないんだから。
・・・それに、ここにだって、わたしを気遣ってくれる人たちがいることに気づいたから。


「よし! 頑張ります!!」


は力強く顔を上げた。異世界にやってきてからやっと、心の底から笑えたような気がした。














ハイ。ヒロインさん強くなる予定です。Loveはマダマダほど遠い・・・(泣)