あっという間に過ぎ去ってしまった三時間。
悟空の来訪を心から切望していたにもかかわらず、彼はやってこなかった。
絶望的な重い空気が胸を覆う中、ナッパが戦闘服を脱ぎ捨てた。

「はっはっは! どうだ、この筋肉! セクシーだろ!?」
「…………つうか、なんで脱いでんの? キショい……………」
「んなんだとぉ!!!オレ様の鍛え抜かれたこの肉体をっ!!! あっ!もしかしておまえは筋肉質な身体は苦手なのか!!!」
「いや………あなたはキショいけど、悟空の身体は綺麗で逞しくてとってもセクシーなの〜v …って、うわっ!なに言ってんだわたしは!ハシタナイ///」
「…………っこんのぉーーーっ!!!」

ひとり「キャ、はずかし〜」などと言いながら朱に染まった頬っぺたを両手で挟んでいるの様子に、ナッパはまたもやぶちきれて、こめかみに浮かんだ青筋をひくつかせていたりする。

――――――そんなことを言っている場合ではないだろう的この状況に及んでなお、まったくのんきな彼女の言動に、仲間たちは『もしかしたら(ちゃん)(おかあさん)は、かなりの大物なのかもしれない』と思っていたとかいないとか。







第十五章:喧嘩上等!







一瞬だった。
人妻、しかも一人の子持ちの身でありながら、何故だか乙女な恥じらいが妙にしっくり来る『ナッパよりも悟空のほうが素敵なのv』発言にナッパが激昂し、怒りに任せて攻撃を仕掛けてから、ほんの瞬きする程度。





「――――――――――――まいった?」





響いたその声の方向を、一斉に振り返るベジータも含めたその場の面々。
そこで目にしたものは。

なにがどうなってそうなったのか、ぶっ倒れて地べたと仲良しになっているナッパと、それを見下すの、鋭い視線。






「「「…………………………………………………………」」」
「ほう……………」






ぽかん、とナッパとを交互に見やるピッコロ、クリリン、悟飯。
そして、唇の端を吊り上げてニヤリ、と笑う腕組みをしたベジータ。



そんな視線の先、ナッパは自分でもどうして地面がこんなに近くに見えるのか良くわからないような表情で。
一拍遅れて自分が地面に突っ伏していることを認識し、身を起こすと同時に首筋に鈍い痛みが走るのを感じて、顔をしかめた。



「………やっぱ、わたしの力で一撃必殺ってのは、ムリっぽいね」



ハウ、と小さなため息交じりのその声に、ナッパは痛む首筋を押さえながら信じられないといった顔をその声の主であるに向ければ、彼女の鋭く強い光を宿した双眸と視線が交わる。

さっきまでの彼女とは明らかに違う、戦闘モードのきりっと引き締まった表情に、こんな顔もできるのか、とナッパは不覚にも寒気を覚えた。





「………お、おい、今、なにが起こったんだ………?」
「わ、わかりません……。でも、おかあさん、すごい…………」
「し………信じられん」





あの、ほわほわちゃんが。
あの、たまに怒るけれども優しいお母さんが。
あの、緊張感のかけらも無いふざけた女が。





目の前で、萎縮してしまうような強い覇気をもって自分たちが手も足も出なかった相手と対峙している彼女が、つい今の今までのお惚け彼女と同一人物なんて―――――――――。







「………やるじゃないか。ナッパよ、おまえには荷が重いかもしれんな」



クックック、とのどの奥で笑いながら言うベジータに、ハッとしたようにそちらに目を向けてから、ナッパは再度の鋭い顔に視線を戻した。



「――――――ちょっと、油断しただけだ。おまえのような弱っちそうな女にこのオレがグッ!!!」



最後まで言葉を発する前に、が視界から消えたと思ったら。
次の瞬間には左頬に衝撃が走り、それが痛みに変わると同時に、口の中には鉄臭い血の味が広がる。





「確かに、油断してる余裕なんかないよね。あなたにも、わたしにも。喧嘩中は、喧嘩に集中しなきゃ」



凛と響く、高く澄んだ声に振り返ったナッパの唖然とした表情。
彼女がいつ攻撃に移ったのかも、どうやって自分の顔を殴ったのかも、わからなかった―――――――――見えなかった。



口元を拭えば、唇から流れ出した血がその拳を汚す。
こんな、ちょっと力を加えればすぐに壊れてしまうような華奢な女に、何故、二度も攻撃する隙を与えてしまったんだろう。
すぐにでも自分のものになるはずだった彼女が、まさかこれほどの戦闘力を秘めていたとは。



「……なるほど。確かに油断なんかしてるヒマねえな。それでこそオレの見込んだ女だぜ!」



ニヤリ、と歪んだ笑みを浮かべたナッパに、ゾーッと寒気を感じる
彼の性格からして、格下だと決め付けていたに蹴られて殴られたんだから、てっきり逆上して怒りの感情大噴射だと思っていたのに、その強面のおっさん顔に張り付いているのはちょっと悦んでいるような笑顔で。





もしやこの人は。





「ナッパさんってもしかして…………M男?」
「…………は?」





ものっすごく真顔でそう聞いてくるを、ナッパはぽかん、と見返す。どこをどうしてどうやってそんな疑問符が湧いてきたのかわけがわからない。
しかしては、いたって真剣そのものだ。ひとつ身震いしてから、つついと視線をはずし。



「だって、蹴っ飛ばされて殴られて流血までしてるのに、なんかヤラシー笑い方してるじゃん。痛いのが好きなのかなと思って」
「い、いや……。どっちかっつーと、Sだと思うんだが………」



そんな彼女に一瞬にして流されているナッパ。
腕組みをして一生懸命考え込んでいるその姿は、かなりオカシイ。しかも、そんなくだらない話題で。






それを見ていた見学組みの面々は、こっちはこっちで唖然である。



「おいおい、また脱線したぞ。ちゃん昔とぜんぜん変わってないなぁ……」


話題的には嫌いではないが、本日何度目かの『今そんなことを話し合っている場合じゃないだろう』的な内容に、のぶっ飛び思考回路を昔懐かしく思い出すクリリン。


「ねぇピッコロさん。えすとかえむとかって、なんですか?」
「………子供は知らんでいい。まったく、あのバカは」


純粋に疑問を持つ悟飯の目から思わず視線をはずしたピッコロは、つい先刻、「喧嘩中は喧嘩に集中」と言ったのはいったいどの口か、と思いながら舌打ちをする。



そして、そこからちょっと離れた場所では、ベジータが笑いをかみ殺していた。
命のやり取りをたかが『喧嘩』と一緒にしてみたり、ナッパを『M男』と言ってみたりと、どうにも彼女の頭の中は個性的だ。けれども、その言動は不思議と周りの雰囲気を和みモードに持っていってしまう。
現に、戦闘を中断して必死こいて考えているナッパ、そしてそれをあきれたように見ている地球人たち、さらに、思わずウケてしまっている、自分自身。

戦闘能力はナッパ以上、見た目も度胸も申し分なし、発想はかなり突飛。
―――――――――楽しめる。



こみあがってくる可笑しさに耐え切れず、クック、と笑いを零したベジータは、ふと思い立ったようにに悪戯な視線を送った。





「………では、おまえはどっちだ、
「は?」



強面の血気盛んなオッサンのナッパが実はМ男だったなんて……(←的思考で決定)人は見かけによらないとはこのことだとさらに気持ち悪〜、と思ってるところに、突然ふっかけられた「どっちだ?」質問に、はなにがどっちなんだ?とベジータに視線をやる。



戦闘モードからお惚けモードに切り替わっているの視線を受けて、ベジータはニヤリ、と口端を引き上げた。



「おまえはSかMかと聞いたんだ」
「………わたし?」



話を振られて、はことり、と首を傾ける。
薄く笑みを貼り付けたベジータと、ゴクリと唾を飲み込むナッパ、クリリン、そして意外にもピッコロと、わけがわからずきょとんとする悟飯との視線の先、彼女はしばし思案をめぐらせて。



「わたしは………ハッ! そ、そんなことはどうだっていいじゃん!!!」



言ってるうちに我に返り、自分が切り出した話題は実はものすごく恥ずかしいものだということにようやく気づいたは、一気に顔を沸騰させた。





わたしはわたしってヤツは!!!
気持ち悪くったってMだって、目の前のでかい男を倒さなきゃならないことには変わりはないのに、なんでそんなふうにアタマがイッちゃったんだろう…。バカじゃない!?
い、いや、わたしが悪いんじゃない。油断してる余裕なんかないと思ってたのに、思った以上にナッパさんが弱かったから脱線しちゃったんだ。そうだ、わたしは悪くない、悪いのはナッパさんだ!!!



キッと顔を上げ、が再び鋭くナッパを睨む。
彼女のなかでどんな答えが出たのかはわからないし、正直、彼女の頭のなかはたぶん理解できないが、とりあえず戦闘モードに切り替わったことにほっとする仲間たちと、彼女がどっちかなんて、聞かなくてもやってみりゃわかる、とニヤニヤ笑うベジータ。



不本意にも流されて、挙句になんだかわからないが自分のせいで腹を立てているらしいからの怒視線を受けてたじろぐナッパが、彼女の目を見返す。



「――――――なんだよ?」
「……なんでもない。とにかく、喧嘩再開!」



宣言と同時に、中断されていた戦闘が始まった。















一方的。
ナッパがどんなに攻撃を仕掛けても、は難なくそれを交わす。



「くっそーーー!!! なんで当たらねえんだ!!!」
「あなたの動きが遅いから」



さらりと言ってのけるもまた、ナッパの打たれ強さに正直辟易していた。
確かに自分の欠点であるパワー不足は理解しているけれども、こんだけバンバン攻撃しても、倒れこそすれ絶対起き上がってくる。



「ったく! しつこい男は嫌われますよ!」
「はっはっは! オレ様のしつこさに早く折れやがれ!」
「無理!!!」





バキ、ドカ、ゲシ!!!





本当に、面白いようによく決まるのに、なんでこの人はニヤニヤ笑いながら起き上がってくるんだろう。
………まぁ、わたしのやるべきことは『時間稼ぎ』だから、倒せたらもうけもんってトコロなんだけれど。



軽くため息をつき、またもや身を起こすナッパを少しうんざりしたように見たとき。










ふわっと。
身を包むような気配を感じた。





圧倒的に大きくて、萎縮してしまうほど強くて、けれど………穏やかで温かい、気配。






思わずナッパから目をはずし、その気の方向を見上げる。



「よそ見してる暇なんかねえぜ!」
「………邪魔」



向かってくるナッパを一蹴し、倒れこんだ彼を確認することもなく、感じる気配に集中する神経。










「―――――――――――――――………来る」










あらぬ方向をひたと見つめ見開かれたの瞳が、その小さな呟きとともに柔らかく和んだ。

蹴られた頭を押さえながら立ち上がったナッパが、そんな彼女の様子の変化に怪訝そうな顔をすると同時に。





「な、なんだこの気は………!? とんでもない気が、遠くから近づいてくる!!!」
「ほ、ほんとだ……。すごいけど、懐かしい、気…………」
「………間違いない………感じる……!」





ピッコロ、悟飯、クリリンが、それぞれにと同じ方向を見上げて声を上げた。



甘やかな光を瞳に宿すと、期待と喜びの表情を浮かべる地球防衛組みたちに、ナッパとベジータは一瞬顔を見合わせた。





「けっ! わけのわからねえこと言いやがって」



はき捨てるようなナッパの口調に、この人たちは、気配を感じることができないんだ、と漠然と思う。でも、確実に、近づいてくるこの気配は、まごうことなき最愛の人のもの。



「ヤツしかいない………孫、悟空だ!」


ぐっとこぶしを握りしめ、歓喜にに高鳴る胸のまま、ピッコロが珍しく感情のままの声を上げる。



「孫悟空だ、孫悟空がやってくるぞ!!! 必ず来ると思っていたぜ、待たせやがって!!!」
「お、おとうさんが来てくれる! はやく、はやくーーー!!!」



ピッコロに倣い、空を見上げた悟飯が近づいてくる気配に向かって呼びかける。



そんな様子を窺っていたベジータが、投げ捨てていたスカウターを装着した。
それぞれが見上げる方向に視線をやり、スカウターのスイッチを入れると同時に、驚きに目を見開いた。





「ベジータ! こいつらの言っているのは本当ですか? 本当にカカロットのやつがこっちに向かってるんですか!?」


へっへっへ、と笑いながら、半信半疑でナッパがスカウターを装着したベジータに聞く。


「カカロットかどうかはわからんが………あと4分くらいでここにやってくるやつがいる………」



空を見上げたままそう答えたベジータが、ゆっくりとナッパに視線を送り。



「戦闘能力、5000ほどのやつがな」
「ごっ……5000!? ば、バカな………そいつはなにかのマチガイだ!!!」



戦闘能力の数値を聞いたとたん、ナッパが急にうろたえだした。
ベジータもまた、ここまでの数値がはじき出されるとは思っていなかったようで、考える風情を見せている。





しかしては、待ちに待った悟空がもう少しでやってくるという事実に、士気をあおられ。



「あとちょっと! あとちょっと頑張ってみますか!」



キリッと顔を引き締めて、うろたえた様子のナッパに鋭利な視線を送った、そのとき。

それまでじっと思案にくれていたベジータがすっと顔を上げたと思いきや、次の瞬間、の腕を後ろ手に掴みあげた。







「ぃ…………痛ぅ」

!」「ちゃん!」「おかあさん!」






今まで高見の見物を決め込んでいたベジータの突然の乱入に、捕まったの苦痛の声に、一同愕然と声を上げる。





決して、油断してるわけではなかった。
事実、やる気満々だったし、ベジータが顔を上げたのもわかっていた。なのに。
――――――気づいたときには、腕をつかまれていた。





戸惑ったようにゆらゆら揺れるの瞳に、皮肉げな笑みを返すベジータ。
今まで自分と戦っていたがベジータに捕まっている事実をようやく認識したナッパが、色めきたった。





「あーーー!ベジータ!はオレにやらせてくれるって言ったじゃねえか!」
「おまえではを捕らえられんだろう。それに……今は遊んでいる場合ではなくなった」
「………へ?」



聞いてくるナッパのマヌケ面にひとつ息を吐いてから、ベジータがピッコロたちに視線を流す。



「ナッパ、やつらを殺せ。そろって手を組まれると厄介なことになりそうだ。……カカロットへの見せしめのためにも」
「っざけんな!!! これ以上、誰一人、殺させやしない!放せ!!!」 



ベジータの発言にカッとなり、ががむしゃらに暴れだす。
けれど、どんなに身を捩っても、ただつかまれた腕にその指が食い込んでいくだけで。





「――――――おまえは殺すには惜しい。おとなしくしていれば、悪いようにはしない」



痛みに顔をしかめるに向かってくる、含みのありまくる言葉と、言葉以上に裏を語るニヤリとした笑い顔。

背筋を、冷たくて嫌な汗が伝い、それがひどい動機を誘導する。



「冗談じゃ、ない! みんなを見殺しにするくらいなら、自分が死んだほうが、マシだよ!!!」




失くしたくないから、頑張ってきた。
絶対守りたいから、頑張ってこれた。
それなのに、ここでみんなを殺されて、ひとりだけ生き残るような、そんな真似―――――――死んでもできない。




悔しさで涙が滲み、それでも激しく猛っている炎のような強い瞳。
悲痛なまでに響く、心の叫び。










…………おまえは、よくやった。孫が来るまであと少しくらい、オレたちでなんとかする」
「女の子に守られっぱなしじゃ、カッコつかないしな。無駄に殺されるほどやわじゃないぜ、オレたちだって」



ピッコロとクリリンが、の強い瞳に促されるように、再び闘志を燃え上がらせる。
声もなくそちらに顔を向けるの目に映るのは、覚悟を決めた男の横顔と、そして。



「おかあさん……ボクだってみんなを守りたい。だから、大丈夫だから、見ててください」
「悟飯、ちゃん………」



年端もいかない息子の、強い決意を宿す瞳。










「チッ。カカロットが5000なんて、絶対機械の故障だぜ。ま、いいけどな。どうせこいつらを皆殺しにすることに変わりはねえ……」



ナッパの闘志が再び殺気をともなって激しくなるのを感じ、同時に仲間たちの気も開放される。




どうにかしなくちゃ、と気持ちばかりが焦るが、捕まれた腕はビクともせず、後ろ手につかまれているため、もがけばもがくほど関節に激しい痛みが走る。












悟空、はやく来て。







祈ることしかできない自分が、悔しくて情けなくて。















ぐっと唇を噛みしめたの視線の先では、今まさに、ナッパと仲間たちとがぶつかり合おうとしていた。





















悟空、早く来てー!!!と叫びながら見ていたのを、覚えてます。。。