フリーザの強さは、圧倒的だった。
たちは最初からベジータに勝ち目はないって……戦ったら殺されるって、わかってはいたが、まさか、挫折を味わう羽目になったベジータが、絶望して戦う気がなくなってしまうなんて、思いもしなかった。

泣いて、る?
あの、いつもえらそうで、自信たっぷりで、プライドの塊のような、ベジータさんが。

想像もできなかったその現実に何よりまず驚き、それから胸が痛くなる。
もう勝てないという絶望、死ぬということへの恐怖、そして。
超サイヤ人になれなかったことが、泣くほど―――――――――悔しかったんだ。







第三十七章:オウジサマの涙







痛くない痛くない。
こんなかすっただけの怪我なんか、泣くほどのことじゃない。痛くない。



「おかあさん、大丈夫ですか!?」

「これくらい、へーきだよ」



心配そうに支えてくれる悟飯に笑ってみせて、は立ち上がる。



グッと唇をかみしめ、脈打つような痛みを訴える肩口に、適当に裂いた衣類を押し当てて固定した。
このままでは、おそらくベジータは反撃もせずにいたぶり殺されるのが目に見えている。
今はこの状況を、何とかしなくては。



そんな焦燥感に駆られるに対し、フリーザはといえば、震え涙を流すベジータを酷薄な笑みをその顔に貼り付けてしげしげと眺めている。



「今度は、こちらからやらせてもらうよ。かるくね」



その暗く冷たい気配に当てられ動けず、助けたくても助けられないピッコロ、クリリン、悟飯を尻目に、愉しげなその声音とともにフリーザの瞳にちろりとのぞく残忍な光。
ぞくりと背筋があわ立つような非情さをそのまま具現化したような気配に襲われてなお、ベジータは構えようともせず。



「待って!!!」

「―――――――――なに?」



今にもベジータに向かっていきそうなフリーザに、は思わず待ったをかけてしまった。
まさか本当に止まってくれるとは思わなかったし、実際問題、無意識でストップの声を上げてしまったわけだが、フリーザは愉しみを削がれ不服そうな視線をに向ける。

寒気がするほどの冷たい光を宿すその赤い瞳。
視線が交わった瞬間、危険信号が今まで以上に警笛を鳴らして、無意識に身体が固まり逃避体制に入ろうとする。
それに倣って二、三歩後退したところで、は「逃げろ」と命令を下す自分の神経を無理やり押さえ込んだ。





――――――負けたくない。もう誰も、死なせたくない。





強く。強くそう念じて、歯を食いしばる。
挫けそうになる心に喝を入れると、身体の震えがおさまり、幾分か落ち着いた。





「………今のベジさんは、戦う気なんか、ありません」



そう言って、真っ向から冷たく威圧感のある視線を押し返す
それを目を細めて見やってから、フリーザは唇の端を吊り上げた



「そのくらいわかってるよ。なんか泣いてるみたいだしね。でも、サイヤ人は戦うしか脳のないサル野郎だから、ちょっと痛めつければすぐ反撃してくるさ。………無駄な抵抗,だけどね

「反撃なんか、するわけないじゃん」



フリーザの言を、間髪いれずに否定する
小さく息をついてから、はそっと視線をそらす。



「……ベジさんは、挫折にあまり慣れてません。必要以上に自信とプライドを持っています。それを、ここまで木っ端微塵にぶち壊されたんです。どんなに痛めつけたって、きっともう、反撃なんかできない・……しない」



あの居丈高なベジータが、人前で涙を見せるほど。
それほどまでに彼の精神状態は今、崩壊している。
こんな状態で、痛めつければ反撃してくるなんて、本気で思っているのだろうか。



「まあ、無抵抗だろうがベジータが死ぬことには変わりないけど……つまらないね。無駄にあがいている虫けらのほうが、殺し甲斐があるのにさ」



ふう、と。
肩をすくめるフリーザが、これ見よがしに大して落胆もしてないそぶりで息を吐き出す。
そして、はたと思いついたように、いまだうつむいているを見て哂う。



「そうだ、つまらないからさ、きみが相手をしてよ。うまくいけば、ベジータは助かるかもしれないよ? もっとも、そんな怪我した状態じゃあ、まず無理だと思うけどね」



クック、と面白そうに肩を揺らすフリーザの言外には、怪我なんかなくたってベジータが助かる確率は確実にゼロだ、という含みがあり、事実、が勝てる可能性も皆無といっていい。

ぐっと唇を噛みしめてから、は顔を上げた。



「うまくいけば助かる、か。そうだね、ベジータさんが戦う気を起こしてくれて、悟空が復活してくれさえすれば、うまくいけばあなたを倒せるかもしれないのに……。悔しいけど、わたし独りじゃ、どうにもできないや………」



苦笑とともに吐き出されたその言葉に、フリーザは笑みを消した。



「ゴクウ?さっきもそんなこと言ってたね。――――じゃ何?ベジータとそいつが組めば、ボクを倒せるとでも言うのかい?」

「倒せる可能性が、ゼロじゃないってことは確か、かな」

「あり得ないね。虫けらが何匹集まろうが、所詮は虫けら。ボクに勝てるわけ――――――」

「勝てるかもしれないの」



フリーザの言葉をさえぎり、が言い放つ。
絶対勝てるなんて言えやしないけれど、あり得ないなんてことは言わせない。

それに。



「あなたは、抵抗しない人と戦うの、つまらないって言ったよね?………ホント、理解に苦しむけど………あがいてる人のほうが殺し甲斐があるって、そう言ったよね?だったら、ほんの少しでいい。時間をください」



悟空が復活するまで、もう10分かそこらのはず。
たったそれだけの時間なのに。ここにいる全員で戦ったところで稼げる時間なんて一分にも満たないだろう。それくらい、目の前の底冷えのする凶悪な気の持ち主との力の差は、歴然なのだ。





フリーザの絶対的な自信を刺激して、懇願するしかないなんて。
フリーザの残忍なやり方を増長するようなこといって、待ってもらうしかないなんて。





――――――でも、今。
自分ができることは、そんなことしかない。悔しいけれど、情けないけれど。
みんなが生きて帰れる確率を少しでも上げるには、もう、それしか思いつかなくて。





「そしたらきっと、笑えないくらい、楽しいと思わせないくらい、足掻いてみせるから」



必死な瞳に、強い光が宿る。
まっすぐに自分より格段に強い相手の瞳を見返せば、一瞬、その冷たい瞳が怯んだ。



「――――――ま、いっか。その口車に乗ってあげるよ。ボクもそのほうが楽しそうだし、それに」



言葉を切ったフリーザの顔に、酷薄な、歪んだ笑みが広がった。
空でうなだれているベジータにを見上げ、、次いで動けず固まってしまっているピッコロ、クリリン、悟飯を見渡してから、に視線を戻し。



「君の言う『勝てるかもしれない』っていうのを完全に否定して、目の前でそいつら全員殺したほうが、面白そうだからね。君は、最後にしてあげるよ。ほかのやつらが死んでいくところを、見せてあげる」



目を見開き、軽く身動ぎするを見やって、フリーザは適当な岩に腰を下ろした。










心臓が、いやな音を奏でている。
手に、額に、脂汗がにじんでいる。
でも。

は、空を見上げた。
いまだそこで絶望に打ちひしがれているベジータを確認し、ふわりと浮き上がった。

あんな外道の言うことに怯えているヒマなんてない。
まずは、ベジータのこの状態を、どうにかしないと話しにならない。

そうわかっていても、膝が震える。いかに楽観的とはいえ、この現実に恐怖を感ぜずにはいられない。自然、肩に力がはいてしまって。

いやな緊張を和らげるため深く深呼吸をしてから、とりあえず彼の手を引いて、地面に降り立つ。
まったく抵抗せず、手を引かれるままに同じく地面に降り立ったベジータの顔を、そっと覗き込んだ。



「ベジさん…………?」

「…………………………………………………………………」



なにも映していない、涙がにじんだガラス玉のようなその瞳。
うなだれ、力の抜けたその姿。
―――――――――まるで、魂が抜けてしまったように。



「ベジさん、おーい。ベジータさーん!」

「…………………………………………………………………」



呼んでも無反応。
顔の前で手をひらひら振ってみても、何の反応も見られない。
――――――仕方ない。ちょっとだけ、荒療治。



「ベジータさん、しっかりしなさいっ!」



バチンッ!!!



「…………………………………………………………………っ」



額に景気よくとんだデコピン一発。
今まで呆然としていたベジータが、目を瞬かせ、それに併せてにじんでいた涙が零れ落ちる。
なにも映していなかった瞳が、目の前の人物で焦点を結んだ。





「……………………………………………………………………………?」

「はい。です。だいじょうぶですか?」

「………………オレは………………生きて………………………?…………」

「はい、生きてます」



ニコリ、と笑って答えてくれた、その澄んだ高い声。
やさしく暖かい光を湛えた瞳が柔らかく和んで、自分を映していて。
今まで自分を包んでいた極限の恐怖とはあまりに対照的な、あきれるほどのやわらかい空気を感じ、ベジータはその場に崩れ落ちた。



自分の存在を自覚してしまえば、返ってくる数々の失態。
超サイヤ人だと思い込んだ。フリーザに匹敵する力を得たはずだった。絶対の自信があった。
だが、現実には。



「……オレは……オレはっ!超サイヤ人になれなかっただけではなく………フリーザの足元にも………………っ」



ぐっと、血がにじむほどに握りしめたこぶしに、新たな涙がぱたりと落ちる。
決定的な挫折を味わう羽目になって。怖くて、悔しくて。
どうしようもなく、泣けてきた。



「こらこら。泣くな泣くな、男だろ?」



ぽんぽん、とやさしく頭をたたかれて。
顔を上げれば、春の陽射しのようなほんわりとした笑顔が飛び込んでくる。



「………まあ、その…うん。気持ち、わからないでもないけど、さ。でも、ベジさんも悪いのよ?」



困ったように首をかしげるを見上げる。また、涙がこぼれた。
それを細い指ですくってから、ちょっといたずらっぽい色をその瞳に宿して。



「わたし、ベジさんは超サイヤ人じゃないって言ったし。あの人に勝てないとも言ったし。それを無視してかかってっちゃったのはベジータさんなんだから」

「オレは………――――――」

「ああ、だから泣かないの。悔しかったよね。自分の限界はここまでなんだって思っちゃったろうし、フリーザにはザコ扱いされるし、散々だよね。でも、ベジさん、生きてる」



あふれてくる涙をもてあまし、深くうつむくベジータ。



「………こんな思いで生き残るなら………殺されたほうが………」

「バカなこと言わないのっ!」



強く言われ、また額をぺチンとたたかれた。



「ベジータさん、今はまだ無理だったけど、きっといつか、超サイヤ人になれる日が来るって思わない?いつかきっと、フリーザに勝てる力を身につけられるって思わない?ここで死んじゃったら、その可能性、全部なくなっちゃうんだよ?そんなの、勿体無いじゃん」



の言葉に、彼女を見る。
柔らかいなかにも強くきらめく意思の宿った鳶色の瞳。
もう一歩も前には進めない、進めば堕ちてしまうと思っていた今後の自分の真っ暗な未来を、光で指し示してくれるその前向きな思考と希望を与えてくれる言葉。






きっといつか。いつかきっと。






そう、心のなかで復唱すると、ダイレクトに胸に響いてくる。確たる実もない、味も素っ気もない言葉なのに、心を覆っていた闇に光が射してくる。
一度未来に視線が向けば、絶望や恐怖といった負の感情が、徐々に引いていくのがわかる。



「そう……か。フフ、勿体無い、か」



さっきまで崖っぷちだった自分に今、信じられないことに小さいながらも笑みが戻っていた。
馬鹿みたいに泣いていた自分がものすごくみっともないと思えるくらい、元の自分を取り戻して。





「はぁ……。まったく、世話のやける人ですね。王子だ強いんだとか言っておきながら、すぐにポッキリ折れちゃうんだから」



小さく笑みの浮かんだベジータに安心したのか、腰に手を当ててため息混じりに言うの様に、正直返す言葉もない。
彼女の『強さ』に比べたら、自分なんか本当に、これっぽっちも強くなかったことを思い知らされる。彼女の芯はなんて強く、しなやかなのだろう。



「おまえは…………すごいヤツなんだな」



思わず呟きもれた言葉が聞こえたのか、はきょとん、としてから自嘲的な笑みを漏らす。

全然、すごくなんかない。
一生懸命、平然を装っているけれど、正直、今だって怖くてたまらない。
こんなギリギリの、付け焼刃な『平然』で、わたしはちゃんと、笑えているのだろうか。



?」



呼ばれて、ハッと我に返った。
怪訝そうなべジータの様子に、あわてて取り繕った笑顔を作って。



「えへへ。打たれ強さだけは、いろいろと学んでますので。ピコさんとかベジさんとかピコさんとかベジさんとかでっ」

「……なぜそこで、オレ様を出す……」

「てゆうか、ピッコロとベジータしか出てないなぁ」

「でもボクもすごいと思います。だって、あんな呆然として泣いてるベジータさんを、正気に戻しちゃったんですから」



腫れ物に触ってはいけないような感覚で、とベジータのやり取りを見ていた某三人が、二人の元へと寄ってくる。
ピッコロは何故かご不満顔、クリリンは毎度頓珍漢なの発言に呆れ顔、でも悟飯は尊敬のまなざしでそんな母親を見上げていて。







って。







――――――――――――泣いている、ベジータ………って。








「…………おい貴様ら、オレ様が泣いたなんてことを言いふらしやがったら、命はないと思え」



視線をそらしながらはき捨てるように低く言うベジータのその横顔が、耳まで真っ赤になっていて.。
思わず笑ってしまえば、青筋立てて「笑うな!」なんて怒ったりしている彼もまた、なんていうか、お子様みたいで。一言で言ってしまえば、可愛い、なんて思ってしまったのはきっと、だけではないだろう。



「オウジサマの涙なんて、めったに見れたもんじゃないよねぇ。あーあ、カメラ持ってくればよかったっ!」



さも残念そうに息を吐く
それにうんうんとうなずくクリリンと、くすくす笑う悟飯。
さらに。



「それがベジータだっていうのがまたなんともいえんな」

「そうそう!」



ニヤリ、と笑うピッコロに、がそのとおりというようにこっくりと大きくうなずいて。





「貴様ら、本当に死にたいらしいな………」





本調子に戻ったベジータが、マジ切れ顔でこちらを睨んだのを見計らって、がズズイ、とその顔を覗き込んだ。
ベジータの瞳をジィ、と見つめてから、うん、とひとつうなずいて笑う。



「よしよし。ベジさん、いつもの目になりました。その怒りは、泣かせたあの人に向けてくださいね」



言って表情を幾分か引き締め、は岩の上で余裕ぶっこいて目なんか閉じちゃっているフリーザを指差す。

自分を勇気付けるために無理にでも笑ってくれていたのであろうの、硬い横顔。

不思議なやつだと、そう思う。
彼女が笑うとその場の空気が和んでしまい、逆に表情が硬くなれば一気に緊張感が増す。たった一人の人間の雰囲気がこんなに周りに影響を及ぼすものなのだろうか。



ベジータはつい先ほど初めて彼女から顔を近づけてきたことに不覚にも跳ね上がってしまった心の臓をなだめて、その示された人物を瞳に映す。

できることなら、自分ひとりの手で倒したい相手。
しかし、冷静に先ほどの手合わせを振り返った今。サイヤ人の誇りにかけて、サイヤ人の手でフリーザを葬れるなら、それでいい。



こんなことをこんなふうに穏やかに考えられる自分の心境の変化に、自分のことながら驚いてしまった。
彼女のお惚けほわほわ病を、うつされでもしたのだろうか。



釈然としないながらも、ベジータはフリーザの宇宙船のある方向、すなわち、メディカルマシーンに入っているカカロットのいる方向に視線を飛ばす。

カカロットも、紛れもなくサイヤ人。



「いけ好かんヤツだが…………今回に限ってはカカロットと手を組んでやってもいいかもしれんな」



宇宙船の方角に視線を残しながら独り言のように小さく呟くベジータを見たが安心したように、微笑む。



「…………ありがとう」



その笑顔から視線をはずし、ベジータはそっぽを向いた。




















礼を言うのは、自分のほうだ、と。
そんなふうに胸のうちで思ってしまうなんて、ずいぶん温くなったものだと。
内心、苦笑を禁じ得なかった。





















 

ベジさん、人格崩壊。
でも、泣いてるベジは管理人的にもいたたまれませんでしたので。
だからといって……ことのほかベジにかまけてしまった今章: